なぜ、今、創造性が必要か。

なぜ、今、
創造性が必要か。

この問いに、
未来を見出したい。

創造性とは、
誰もが生来的に
持ち得る力だ。

形にする側になるか
享受する側になるかは、
この際、関係ないが、

前者には、
マゾヒスティックなまでの
過酷な冒険譚が用意され、

後者には、
幸せな平穏が訪れる。

と言うことは、
人生を歩んで行く上で
誰もが認識する
必要がある。

それでは、
真の創造性とは
何だろうか。

既存の秩序を破壊し
混沌から新たな規律を
作り上げる行為

と言えば、
優等生的な答えに
なるだろうか。

パースペクティブな平面や
多次元空間が衝突や拮抗を
繰り返して生まれる
ミクロコスモスであり、
時にブラックホール化する義人を
冷徹に選別し錬成する行為

と言えば、
頭デッカチな
感じもする。

一部の突出した才能
或いは天才によって
作られるもの、

とも言えるかもしれない。

イザナギとイザナミによる
国生みの営みが原初にあり
交わりこそが真の創造性だ、

と言う意見も
あるかもしれない。

詰まる所、
誠か嘘かは別として
創造性を語るに
一義には
決して留まらない。

その上で、
今一度、
最初の問い
戻ってみたい。

なぜ、今、
創造性が必要か。

圧倒的な権力
対抗するのは、
創造性以外にない
と言うことだ。

それはであり、
尽きることのない
情熱である。

を追い続ける
動力の源泉とも言える。

世界的な混乱の中、
独善的な支配について
その行き詰まりや破綻を
誰もが察知し始め
危機感を抱いている。

では、
絶対的な権力
行使する者や
組織に対抗する術とは、
何だろうか。

芸術家革命家
呼ばれる人々は
過去より果敢に
挑んで来た。

彼らが
持ち得たものは
何か。


遥かなる思考

である。

つまり、
創造性だ。

私は幼少期に
音楽を通じて
世界を創り出すことに
魅了され、
今に至っている。

その世界とは
だ。

時に曖昧模糊
しているが、
現実より遥かに
残酷でもある。

しかし総じて、
救いだ。


希望の火
を灯し、
救いの言葉
孕んでいるのが
である。

少なくとも私は
そう信じている。

また、
音を楽しむと言う
創造的な行為によって
現れたは、

数多の利権に
籠絡された
為政者にとっては、
最も手に負えない
代物であるはずだ。

逆手に取った
政治利用
散見されるが、

如何に浅薄な目的かは
賢明な民によって
暴かれることからも
明らかである。

人類は「貨幣」を
生み出したが故に
戦いの歴史」を
作り出した。

無用の戦い」を
続けざるを得ない、
そんな世界を
作り出してしまった。

偽善が
当たり前となり、
善悪の見境が
付かない亡者共が、
殆どゾンビの様に
蔓延っているのが
この世界だ。

命を捧げるに
値しない闘いに
命を懸けねば
ならない現実は
苦々しくも、
悲しい。

しかし、
コロナ禍にあって
これらの様々な
理不尽たる問題が
誰の目にも
触れる事となった。

この事態を、
より良い世界への
契機とする為に、

或いは、
この矛盾した世界の
均衡を取り戻す為に、

我々にできることとは
一体、何だろうか?

それは、
創造性を育み、
慈しむことである

私は、考える。

表現し創造することは、
死さえも乗り越え
永遠の輝き
放つものである。

災厄が起こった時、
芸術の世界に於いて
総じて以下のような
言葉が出てくる。


「我々のやっていることは  
 生きることには必要ない」

確かにそれも
一つの見識として、
事実であろう。

実際、真っ先に
必要になるのは
経済的な支援や
食糧や医療など
現実的な
助けである。

その時に音楽
必要ではない。

しかし、ひとたび
苦境の中において、
心の支えとして
音楽が誰かの元で
存在することも
また事実である。

そう、
無意味ではない。

ただ本当に、
二義的にしか
存在価値を見出せない
ものなのだろうか。

単に自らが
選んだ道を
肯定したいだけ
ではないのか?

釈然としない、
長年の悩みである。

そこで今一度、
考えてみたい。

一部の者たちの
利己的な行動に
日々我々は憤り
感じている。

何故だろうか?

それは、
他人への思いやりの
欠如に対する

憤りである。

端的に言えば、
創造性の欠如に対する
憤りでもある。

誰もが、
もがきながらも
人生を模索している。

人は、決して、
一人では、
生きていけない。

手を取り合って
力を合わせて
歩んで行くものである。

それが、
人の道だ。

人の道を外れると
邪の道となり、
文字通り
『外道』となる。

私達が永らく
この世界で
生きることを
許される為には、
創造性こそが
不可欠である。

それを端的に
表現するのが
芸術
エンターテインメント
である。

創造物は、
気付きを与え、
受け手は豊かさを
享受しながら
しなやかな思考を保つ。

これは長きに渡って
人間が編み出した
知恵である


人たらしめる
知性であり
真髄でもある
のだ。


授かりもの
と言っても
良いのかもしれない。

最も大切にしなければ
いけない種のもので
あるのかもしれない。

なぜなら、
心はいつだって
自由なのだ。

経済と芸術文化は
社会の両輪を
為すべきであって
それを繋ぐのは
創造性であると、
私は、考える。

社会は、
経済より文化芸術が
先に立って道を示す
と言う可能性を
否定してはいけない。

そんな時があっても
良いではないか。

可能性の幅を
広げることは
より良く生きる為の
施策
にも成り得るのだ。

理想
かもしれない。

現実は、
いつも理想
綱引きしながら、
進んで行く。

どちらかだけが
強くなっても
いけない。

そのバランスを
支えるのも
創造性』なのだ。

もし我々が、
真にこれを
手に入れることが
できれば、
どんな冒険も
怖くないだろう

いや、 それこそ
理想であって
両者を常に
バランス良く
保つことなど

悟りを開いた者
でもなければ
難しいのではないか。

そうであれば、
理想と現実の狭間で
揺られながらも
生き抜いて
行くためには、

尚更、
創造性だけは
決して失っては
いけない。

誰であっても
神以外の誰かの
傀儡になっては
いけないのだ

老獪や
猫かぶり、
人を欺く者には
心から
気をつけなければ
ならない。

近しき者たち、
家族や仲間が
そう言う目に
遭った時、

我々の心は
音を立てて
軋み
痛み
叫ぶ

それは
涙の落ちる

時に、
絶望の感さえ
佩びる。

正直者が
馬鹿を見る
世の中で
あっては
いけない。

一人の強者が
弱者を統べる
時代は
終わった。

ならば私は、
冒険の探求者
なろう。

奏でる音楽で、
新たなる旅を、
感動を、求めて。

あなたと共に、
を探しながら、
歩んで行きたい。

 

 

 

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