『超かぐや姫!』音楽創作ノート ④ フィルムスコアリングとは、何をするものか

『超かぐや姫!』音楽創作ノート ④ フィルムスコアリングとは、何をするものか
Photo by Ganapathy Kumar / Unsplash

※この連載には、Netflix映画『超かぐや姫!』本編の内容に関する記述が含まれます。これから本編をご覧になる予定の方は、鑑賞後にお読みいただくことをおすすめします。

前回は、「フィルムスコアリング」という手法を選んだ理由について書きました。今回は、その手法が具体的に何をするものなのか、そして、何が起きるのかについて書いていきます。

 前回お話しした「姿を変えながら繰り返す主題」は、音楽の世界では「ライトモティーフ」と呼ばれています。

 ライトモティーフとは、特定の人物や場所、感情、状況などを象徴する、短い旋律やフレーズのことです。「示導動機」と訳されることもあります。もとは十九世紀の作曲家、リヒャルト・ワーグナーさんが、オペラの中で発展させた手法です。たとえば、ある登場人物が現れるたびに、決まった短い旋律が流れる。すると観客は、その人物と旋律を、自然と結びつけて記憶していく。これを映像と、寸分の隙もなく同期させていく。それが、本作で私が選んだやり方でした。

 では、「フィルムスコアリング」とは、具体的に何をするのか。

 ひとことで言えば、映像に対して、一フレーム単位で音を合わせていく作業です。

 セリフとセリフの間。視線の揺れ。空気や気配が変わる、ほんの一瞬。そうした細部をどう読み取り、どこで音を入れ、どこで引き、どこで流れを変えるか。映像の中に流れている「呼吸」をつかみ取って、それと完全に重なるように、音楽を設計していく。もっと実際的に言うと、映像のタイムコード(時間の目盛り)を見ながら、メトロノームの速さを計算して、曲を作っていきます。

 この手法を採ると、何が起きるか。

 ひとつは、観ている人の体験が変わります。

 フィルムスコアリングがうまく働いている作品では、観客は「音楽を聴いている」と意識しないまま、音楽から強い影響を受けます。その場面の感情、緊張、解放、希望、絶望。そういったものを、音楽が映像と一体になって、伝えてくれる。セリフだけでは語りきれない心の動きや、画面の奥にある意味を、自然に補ってくれるのです。これが、フィルムスコアリングの、いちばんの効きどころだと思います。

 もうひとつは、作る側の精度が上がります。

 カットの切り替わり。視線の移動。動きのアクセント。感情が変わる、その一点。そうした演出の急所に、音楽をぴたりと合わせていく。すると、監督や演出家が画面で何を伝えようとしているのかを、音楽の側から、確実に支えることができます。映像の長さや構成に合わせて、音楽を最適化していける。だから、ただ「良い曲」を書くのではなく、「その場面のために、最も機能する音楽」を作れるようになる。これは、大きな違いです。

 『超かぐや姫!』では、劇伴のほとんどを、このやり方で組み上げました。

 少し、内側の話をします。

 映像の中に潜んでいる文脈を読み解いて、それを音に変えていく。そのためには、映像の中の物語に、自分が溶け込んでしまう必要があります。理屈で考える部分を、いったん止める。そうやって深く集中できたとき、進むべき道筋が、はっきりと見えてくる。新しい物語が生まれる、その瞬間に立ち会えるかどうか。これこそが、私にとって、作曲家としての何よりの醍醐味です。

 なぜ、そう思えるのか。

 その道を見つけたときの喜びが、ほかの何にも代えがたい、特別な体験だと——幸か不幸か、知ってしまったからです。芸術家とか、創作をする人間というのは、そういう生き物なのだと思います。

 ただ、正直に打ち明けると、これはきれいごとばかりでもありません。体の仕組みとして見れば、ある種の「快楽を求めずにいられない状態」、つまり、報酬を求める渇きのようなものに、すぎないのかもしれない。それ自体が、ものづくりを生業にする人間の、逃れられない業(ごう)を作り出しているとも言えます。

 これほど素晴らしいものが世界にあるのなら、世の中の無用な争いなんて、どれだけ減るだろう。音楽の力を知って以来、私はずっと、そう思ってきました。私がいなくても、世界にはすでに、星の数ほど素晴らしい音楽があります。それでも、自分にしか作れない音がある。そう信じているからこそ、できる限り、自分の手を通して表現しているのかもしれません。

 本作のスタッフロールには、「コーニッシュ」という名前が、何度も出てきます。人名らしからぬ見た目のせいで、会社名やグループ名だと思った方も、たくさんいたようです。しかし、個人名です。劇伴を全曲作曲しただけでなく、編曲も、オーケストレーションも、指揮も、ピアノも、コーラスまで、私ひとりでやっています。もちろん、オーケストラの演奏は一人ではできませんし、譜面の製本などは、チームを組んでお願いしています。

 劇伴の仕事は、作業量が膨大なわりに、短い期間での納品を求められます。だから、編曲やオーケストレーションの段階でアシスタントが入るのは、ごく当たり前のこと。それでも私は、今のところ、そこを譲らずに、ひとりでやることにこだわっています。

 監督の「金太郎飴」という言葉と、私の「添え物にしない」という思い。その二つは、フィルムスコアリングという、ひとつの手法の中で出会いました。そしてこの手法が機能した結果として、『超かぐや姫!』の劇伴は、観てくださる方に、作品全体の説得力と没入感を届けられたのだと、振り返って思います。

 自分の表現を磨き続けた先に、こういう作品と出会えるまでには、それなりの時間がかかりました。それでも、自分の理想をひとつ、形にできた。第1回で「総決算」と書いた理由は、このあたりにあります。


次回は、フィルムスコアリングの現場で、実際にどのように音楽が生まれていったか——いくつかの楽曲の、具体的なエピソードを書きます。