『超かぐや姫!』音楽創作ノート ① 山下監督と、総決算に至る道

『超かぐや姫!』音楽創作ノート ① 山下監督と、総決算に至る道
Photo by Alexis Antonio / Unsplash

※この連載には、Netflix映画『超かぐや姫!』本編の内容に関する記述が含まれます。これから本編をご覧になる予定の方は、鑑賞後にお読みいただくことをおすすめします。

 このブログ『ソラノネ進化論』を、私は六年ほど眠らせていました。

 書くことそのものをやめていたわけではありません。ただ、こうして人に読んでいただく形で書くことを、避けていました。

 きっかけのひとつは、コロナ禍でした。創作も、仕事も、家族も、友人も——自分と社会との関わり方が、何もかも、目まぐるしく変わっていく。そんな感覚の中にいました。これほどの変化は、私の人生で二度目です。

 作曲家という道を選んだ以上、波乱は覚悟の上です。災いも幸運も、極端な形で訪れる。それは承知していました。それでも、この数年の揺れは、尋常ではありませんでした。

 壊れること、終わること。それは時に、無慈悲です。ただ、時間が経てば、必ず何かが再生し、新しいものが姿を現す。これも、また本当のことです。

 その「再生」のちょうど真ん中で——これは後になって気づいたことですが——私が取り組んでいたのが、この『超かぐや姫!』でした。しばらく心を静め、土を耕すような時間を経て、ようやく、自分の言葉で語るときが来た。そう感じています。まずは、この作品の音楽について書くことから、始めてみます。少し長くなりますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

 なぜ、人生の節目とも言えるこの時期に、『超かぐや姫!』だったのか。理由を探すのは野暮かもしれませんが、それでも、つい考えてしまいます。

 人と人とが出会い、何かが動き出す。その瞬間というのは、目に見えない無数の縁が、複雑に絡み合った末に生まれてくるものだと思います。「運命」という一言で片づけるには、あまりに込み入っている。ただ、ひとつだけ確かなことがあります。『超かぐや姫!』への道は、山下清悟監督と重ねてきた、個人的な対話の時間なしには語れない、ということです。

 『薄明の翼』でご一緒したあと、監督とは、直接会ったり、オンラインで話したり、何度も言葉を交わしてきました。創作にどう向き合うか、何を大切にしているか。お互いに、いろいろなものを持ち寄っては、話を深めていきました。

 音楽の話なら、監督が「これは何度聴いても胸をつかまれる」という曲を、一緒に分解してみたり。映像の話なら、監督がすすめてくれた本を読んで、感想をぶつけ合ったり。あるいは、ただ美味しいものを食べて過ごすだけの時間も。そういう何でもない時間こそが、お互いの感じ方を知る、大事なひとときだったように思います。

 そうした積み重ねの先に、今回の仕事がありました。実現できたことを、心から嬉しく思いますし、関わってくださった皆さんには、感謝しかありません。

 とはいえ、正直に言えば——この起用は、自分でも意外でした。

 こうした大きなスタジオの長編映画で音楽を任される作家は、世の中にたくさんいます。すでに名の知れた方もいれば、スタジオと長年の信頼を築いてきた方もいる。劇場用の長編音楽というのは、たいてい、そういう積み重ねの上で成り立っています。

 一方の私は、学歴も、受賞歴も、大きな事務所の後ろ盾もありません。ひとつひとつの作品と、そこで出会った人との信頼だけを頼りに、二十五年近くやってきました。その歩み方に悔いはありません。ただ、業界の仕組みから見れば、私のような独り身の作家に長編の声がかかるのは、そう多いことではない。それも、事実です。

 だからこそ、山下監督が私を推してくれた。その事実が、何より大きかったのだと思っています。

 ところで、本作は少し変わった道を通った作品でもあります。

 先にNetflixで配信され、そのあとに映画館で公開されました。そして、映画館での上映で、より大きな成功を収めた。普通は逆です。映画館で公開してから配信、という流れには理屈が通っています。ところが、配信が先で、あとから劇場公開して、しかも興行的に成功した——そんな例は、これまでありませんでした。

 順番が逆さまだったのは、公開の仕方だけではありません。音楽の作り方もまた、慣例から外れていました。

 ほかの作家の進め方は分かりませんが、一般に、劇伴(劇中の音楽)は、制作のいちばん最後に発注されます。映像の長さに合わせて曲を書く以上、後半になるのは理にかなっています。それに加えて、情報が外に漏れないように、音楽家に話が来るのは、ぎりぎりの時期になることがほとんどです。

 ところが本作では、監督は、企画が正式に通る前から、私に情報を共有してくれていました。企画が動き出してすぐに書かれたプロットも、ずいぶん早い段階で見せてくれた。なぜそんなことができたか。それは、まだ「かぐや」の「か」の字もない頃から、私が監督に「一緒に長編を作りたい」と言い続けていたからです。

 この、ありえないほど早い情報共有が、結果として、本作の音楽のあり方を、根っこから決めることになります。その道筋を、次回から順を追って書いていきます。


次回は、本作の制作チームがどのように形をなしていったかについて書きます。