『超かぐや姫!』音楽創作ノート ② チームが形になっていくまで
※この連載には、Netflix映画『超かぐや姫!』本編の内容に関する記述が含まれます。これから本編をご覧になる予定の方は、鑑賞後にお読みいただくことをおすすめします。
前回は、山下監督との出会いから、『超かぐや姫!』に至るまでの道のりについて書きました。今回は、この作品を支えたチームのことについて書いていきます。
2022年の4月。山下監督から、長編の企画が通った、という報告がありました。
まだ正式な依頼を受けたわけではありません。ただ、友人として、監督が一年以上この企画に悩んでいたのを知っていました。だから、その第一歩を、自分のことのように喜びました。
それから三ヶ月後の7月。本作のプロデューサーになった桃原一真さんから連絡をもらい、久しぶりに会うことになりました。
桃原さんは、もともと大学で建築を学んでいたそうです。それでもアニメの世界が忘れられず、ウィットスタジオに入社。その後スタジオコロリドに移って、最初に担当したのが『薄明の翼』だったと聞きました。初めて顔を合わせたとき、山下監督をはじめ、スタッフの多くが二十代から三十代だと知って、驚いたのを覚えています。私もまだぎりぎり三十代でしたが、ほぼ全員が自分より年下、という現場は初めてでした。グレープフルーツみたいに弾ける、柑橘系のフレッシュさ。その勢いに当てられて、自分の顔まで、なんだかピチピチしていた気がします。
それから時が経ち、『超かぐや姫!』のプロデューサーになったと報告を受けたとき、まず感じたのは——桃原さんの「気立ち」が、変わっている、ということでした。
「気立ち」というのは、その人がまとっている雰囲気、オーラのようなものです。亡くなった私の師がよく使っていた言葉で、私も気に入って使っています。この気立ちが変わるというのは、よほど大きな内面の変化があった、ということだと思います。
まだ三十歳で、長編アニメのプロデューサーとして立つ。これは、アニメ業界ではかなり早いほうです。とてつもないプレッシャーがあったはずです。それでも、だからこそ、相当の覚悟を決めてきたのだろう。そう見えました。
「立場が人を作る」と言います。振り返れば、山下監督も桃原さんも、『薄明の翼』の頃と、芯のところは変わっていません。それでも、この作品を通して、文字どおり大きくなっていった。一年も経つ頃には、二人ともそれぞれの風格をまとい、変わっていきました。監督の才覚と、桃原さんの素直さや実直さ。その二つが両輪になって、作品全体が大きくなっていく。そんな様子を、私はたまたま、すぐ近くで見ていられる立場にいました。人が大きく育っていく姿を、この目で見られる。それは、私自身にとっても、本当に幸せなことでした。
誤解のないように書いておくと、私にはっきり見えていたのは、この二人だけです。ほかにも、たくさんの才能が集まっていたはずです。そもそも作曲家は、監督とプロデューサー以外と顔を合わせる機会が、あまりありません。今回は例外で、制作の途中、彩葉のピアノについて打ち合わせるために、監督たちの拠点へキーボードを持って伺ったことがありました。そこには、キラキラとギラギラが入り混じった、若い才能が集まって、しのぎを削っている。その光景に、心が躍りました。
年が明けて、2023年の2月。私のもとに、最初の本格的な資料が届きました。
監督からは、劇中歌をどう物語に組み込むか、という相談も受けていて、かなり踏み込んだ技術的な話まで返した記憶があります。実際にどこまで役に立ったかは分からないので、これ以上は触れません。私自身が任された部分の制作が本格的に動き出したのは、2023年の春以降でした。ただ、劇中歌の制作はすでに始まっていたので、本作で劇伴をどう効かせるか、じっくり考え、自分の中で温める時間は、十分にありました。
その、監督とのすり合わせの中から見えてきた方向性。そこに芯として通っていた指針が、「フィルムスコアリング」という選択につながっていきます。「フィルムスコアリング」というと、その高度な技術ばかりに目が向きがちです。しかし、これは単なる技術の話ではありません。劇伴が、この作品に対して何を引き受け、何を引き受けないか。その思想の問題として、方針はまず固まっていきました。
順を追って、書いていきます。
次回は、私が「フィルムスコアリング」という手法を選んだ、その理由について書きます。